奈良県王寺町の

​井戸端寺から

編集

余録

​編

​毎月の護持の会々報「寺報 井戸端通信」に掲載しているコラムです

「編集余録」

令和3年 4月

二十七日に自坊の法要を勤め、翌日から息子の得度(とくど)準備講習会の為に難波別院に付き添い、また月が変わって一日・三日と本山通い。中々過酷な一週間であった今回は楽人としての上山であったものの、本山も無参拝法要という事で各御堂もヒッソリとしたものである。ネットでのライブ配信をされていたので、撮影機器と数人の参拝者がいらっしゃっただけである。この様な状態がいつまで続くのかとの声もあったが、言うておるのは勤めている側である。お参りに来られた門徒さんはいつもと変わらず、弥陀に向うて深々と頭を下げ、手を合わす。その姿に何の変わりもないのである。私も写っていると思い配信を視聴したが、矢来(やらい)の陰に隠れてよく見えないではないか!そんな不満が沸いてくるところをみるとやはり私も勤める側にいた様である。拝

 

令和3年 3月

久しぶりに「生姜湯」を頂いた。えらく冷える朝で取り敢えず温もろうと、粉末のそれを湯飲みに入れポットの湯を注ぐ。トロみのついた熱々を啜(すす)ると、腹の底からジーンと温もりが伝わってくる。何とも言えぬ至福の時である。いつもの私の朝は一杯の味噌汁で始まるのだが、それとは又違った有り難さ旨さを感じる。体全体が温もり、妙に腹が落ち着くのである。結果その一杯の生姜湯が朝食代りとなり法務に出た。いつまで もつかと心配していたが、これが結構腹持ちが良い。しかも満腹感が無いのでお勤めもし易いのである。流石に毎日となると難儀かとは思うが、先達から受け継いできた立派な「暮らしの知恵」を感じさせてくれた。生物には元来「治癒力」というものがある。そして我々にはそれを補う、受け継がれてきた暮らしの知恵があるワクチン接種。有難い! けどちょと恐い・・・。気持ちは解る!しかし大切な事である。だからこそ外から取り入れると共に、内にある免疫や治癒力にも意識を向けていくべきではなかろうか。拝

 

令和3年 2月

えらい事である。家内がいきなり今年の節分は2月3日ではなく2月2日だという。何を急に訳の解らない事を、いい加減な事をと、危うく軽い夫婦喧嘩が勃発しそうになった。しかし丁度その時に我々夫婦の論戦の仲裁役をかって出てくれた様なタイミングでテレビニュースが説明をしてくれた。「国立天文台暦計算室」という、今まで聞いた事もないような所の専門家曰く、暦のズレの影響で今年は「立春」が2月3日で、「節分」が2月2日になるらしい。明治30年以来、124年ぶりなのだそうである。いくら高齢化社会といえども、流石に懐かしがる方はいないだろう。しかも来年は3日に戻るが、2025年から4年ごとに再び2月2日になり、2057年と2058年は2年連続で2日になるらしく、今世紀末にかけて2月2日になる頻度が高まる傾向にあるという。国立天文台の職員さんは、その年毎にカレンダーの「節分」の表記が間違われないかを心配されているらしいが、その辺は

心配ないのではなかろうか・・・。拝

 

​令和3年 1月

昨年末は少々ややこしい事があった。昨年の夏に実父が他界したもので、その事を知っている友人知人から年賀状を出して良いのかの問い合わせを何件か頂いたのである。こちらとしては十月の始めに満中陰法要も営み、とうに忌明けしているので例年通りの枚数を考えていたのだが、やはり世間はそうはいかない様である。そこで急遽、人生初の喪中葉書を出す事になったのである。しかし寺方には既に満中陰を勤めた事を伝えているので今更出し難い。という事で昨年は年賀状と喪中葉書、両方を出す事になったのである。ところが喪中葉書と年賀状では出す時期が若干違う!喪中葉書を出した際、控えを取っておけば良いものを、年賀状を出す時点で数件ではあるが喪中葉書を出したかが解らなくなってしまったのである。そうなると全てが怪しく思えてくる・・・。しかしもう後の祭りである!という事で、皆様、新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。拝

​令和2年 12月

インスタントのカップ麺に天ぷら蕎麦がある。最近はその天ぷらを「後乗せ」に出来るタイプのものがある。「サクサクとした食感が楽しめます」という事なのだそうだが、私としては出汁を吸い込んでドロドロ状態になった「天かす」の方が好みである。その様な人間にはいささか大きなお世話感が否めない・・・。勿論、新蕎麦の時期に蕎麦屋に行って挽き立て打ち立ての蕎麦をたぐろう!となると話は別である。私もわざわざ長野県まで行って天かすドロドロの蕎麦を食いたいとは思わない。と思う。多分・・・。要は、何でもかんでも一つのクオリティにハメ込まずとも良いのではないか。と言う事なのである。この様な時世だが放っておいても正月は来る。どの様な蕎麦で年を越し、どの様な新年を迎えるか、これはこれでまた楽しみである。拝

​令和2年 11月

又もや都構想が否決された。橋下氏が悪いだの、毎日新聞が誤報を流しただのと言われているが、有権者を馬鹿にしてはいけない。有識者等と呼ばれる人達のSNSのデマ合戦などは取るに足りない話なのである。有権者一人一人が様々な事情を持ち、様々な考えで自分の未来を掛けて投票されたのである。ただ否決といえども結果は極々僅差であり、少なくとも大阪市民の半数近くは現状に不満や不安を持ち、変えたかったのである。この数字が今の全てであり、市民の叫びとも言える「声」なのであろう。仏教に声明という言葉がある。自らが経を読みその経を自らが聞く。これも「聞法」という行なのである。市民の声を聞くのは政治家だけではない。発した者も互いに声を聞き遇わなければいけない。でなければあまりにも勿体ないではないか。拝

​令和2年 10月

今年の秋は随分と足が早いように思う。例年であれば汗だくで勤める報恩講が、何とも爽やかに気持ちの良い秋晴れの下に執行する事が出来た。残念ながら今年は夜座を勤める事が出来なかったので、夕刻早々に片付けをしていると喉の渇きに気付き、炭酸水を飲みながら縁側に腰を下ろした。例年では考えられない、実にのんびりした時間である。「恩に報いる」と書いて報恩という。恩に報いる事が正解で、報いていくべきであると言う、ともするとそれは単なる恩返し的な発想になりかねない。しかし親鸞は言う「恩は返すものではない、唯ひたすらに謝すべきものである」と。晩夏に父を亡くし、一度も旅行に連れて行けなかった事を悔やむ思いもあったが、先ずは五十年間 父でいてくれた事に感謝の念をおくりたいと思う。拝

​令和2年 9月

父が亡くなった。七十八歳であった。改めて思うと離れて暮らしてから随分と永い時間が経つ。忙しさに感(か)まけまともに顔を合わせるのは正月くらいで、年に数回、電話で極々短い会話をするくらいであった。更には数年前から急に、墓の事や親戚の事も「これからは もうお前に任しとくよって後頼むで」と言いだし、いよいよ会話というものが無くなった。私も、有難い事に二人の子宝に恵まれ親になり、法務と子育てに追われながらの日暮しの中、いつの間にやら親という年寄りを心配する側になっていた。二晩、父の前で母や弟妹達と、父の好きだった日本酒をちびりとやりながら思うところを話しあい、コロナ禍という事もあり家族だけで葬儀を勤め送り出した。勿論寂しくはあったが、何十年か振りにオトンの元に帰れた気がした。 拝

​令和2年 8月

うがい薬がコロナに効く?ニュースでその様な会話があるとその日の夜には薬局の棚から「うがい薬」の類いが総て消える。そして騒動の翌日には、言い訳会見に対し、テレビのコメンテーターは「知事の発言に問題があった」と檄を飛ばす。▼決して吉村知事の肩を持つつもりはないが、政府が動かない現状で精一杯の試行錯誤の中での一言ではないのか?感染するな。気をつけろ。の一点張りよりは聞ける話ではなかろうか?▼以前に、消費者センターに詐欺被害の相談件数がこれだけ多い国は日本位だと聞いた事がある。諸外国では騙した方は勿論悪いが、騙された方の責任も問われるという。自らの健康、延いては自身の命に関わる問題である。誰が何を言おうが、もう少し冷静に判断して事に向き合いたいものである。拝

​令和2年 7月

えらい事である。三円五円のお金が無い訳ではない。言われている趣旨もよく理解出来るし、勿論賛同もする。何なら以前からお茶のペットボトルを一本買う位であれば「そのままで結構です」と遠慮し、それなりにエコに対する意識もあったつもりである。▼以前に「法律やルールが増えると言う事は、それだけ人が愚かになっている証拠である」という言葉をどこかで読んだ事がある。飲酒やあおり等の運転行為もそうだが、強烈なペナルティーを強制されないと現代人は自制が効かない様である。実に情けない話だが、この身の事実を御仏は情けないとは言わず悲しいという。しかし見捨てる事なく、辛抱強くその目で見続けて下さるという。これが慈悲なのである。私もこれからは最後まで大事に使おうと思う、レジ袋とのえらい御縁である。拝

​令和2年 6月

ヨレヨレになったゴムの弦(げん)に矢を掛け、1mも飛ばない玩具(おもちゃ)の弓矢で遊ぶ息子に「人に向けるな!」と怒鳴っていた矢先、大学生が人に向けてボーガンを撃つというニュースが飛び込んできた。そしてコメンテーターは張り切った様相で法規制を訴える。そんな問題なのだろうか・・・。この大学生は「人に向けて撃ってはいけない」事を知らなかったのか?そんな筈(はず)はない。中国の故事に「三才の童子(どうじ)もこれを知るが、八十の翁(おきな)もこれを行なうは難し」とある。やってはいけないという事は子供でも知っている。しかしいい年をした大人が、解っているのにしてしまう。そこに問題の本がある。事が起きると直ぐに締め付け、押さえ込もうとするが、似たような問題は次から次へと後を絶たない。拝

​令和2年 5月

先日の夕飯時、六十代後半位の男性が尋ねて来られ、掲示板の「疫癘(えきれい)の御文」をコピーして貰えないかと言われた。「コピーは良いですけど、脇にある寺報では駄目ですか?関心お持ちでしたらそちらの方が、多少ですが意味合いも書かせて頂いてますよ」と申し上げると喜んで持ち帰って下さった。釈迦の言葉に「応病(おうびょう)与(よ)薬(やく)」とある。人の苦悩に応じて教えを施すというものだ。縁があって目に止まり、何を思い尋ねられ、持ち帰えられたのかは私の考えの及ばぬところであるが、コロナ渦で悶々とした日々の中、少なからず嬉しい出来事であった。人間は暇になるとあまり良い事は考えないというが、よくよく考えてみれば、13年程前にここ安專寺に着任した時は更に暇であった事を思い出す。すべき事、出来る事はまだまだある。「耐えるべき時に耐え、攻めるべき時に攻める」棋士である、故 米長邦雄さんの言葉が身に染みる。 拝

​令和2年 4月

二十年以上この勤めをしているが、無参拝の法要などは初めてであった。春の法要「正法(しょうぼう)永代(えいたい)護持(ごじ)経(きょう)法要(ほうよう)(永代経法要)は本来、未来永劫に経の教えを護持し、引き継いで行こうという趣旨の元、有縁の門徒衆が寄り集い、 経を頂き、法談に花を咲かせるものである。それを一人っきりとは何とも寂しい話である。しかし今回ばかりは致し方あるまいと諦め、当日定刻となったので改着し本堂に向おうとすると、何と思わぬ参拝者がいたのである!座椅子に座っていた妻がムクッと立ち上がり「マンマンチャンやで!」と子供達に声を掛け、私よりも先に、さっさと本堂に向うのである。毎度、法要中は家人に迄気が回っていなかったが、確かにこの人達も一人一人が参拝者なのである。おおよそ習慣的なものなのかも知れない。しかし牛歩の歩みではあるが、一つ次の世代への大事な繋がりを感じる事が出来た本年の春の法要であった。

​令和2年 3月

「鯛は頭から腐る」と言った政治家がいた。しかし釣り好きの私の友人は「魚は内蔵から腐る。だから釣った魚を冷蔵庫でねかす時は必ず内臓を綺麗に取り出して保存しなさい。と教えてくれた。どちらが正解かはどうでも良いが、ウイルスのお陰で自坊の法要もままならず、他寺への出講も4件程キャンセルが出た。子供達も急に休めと言われ、行く所も無く暇を持て余し、いつの間にか気が付けば折角の「雛まつり」も何処えやら・・・

欲求不満・不完全燃焼・戦意消失。表現は違えどボチボチとストレスも溜まってくる頃である。イオンモールやファミレスにはそれなりに人は集まっているが、それとて皆が心から楽しんでいる訳ではなかろう。あまりに悶々とした日が続くと、やはり人間「不貞腐れ」てくるものである。再度言うが

何処から腐るかは今はどうでも良い。ただ「腐っても鯛」ではいたいものである。 拝

​令和2年 2月

凄いものである。オイルショックと言われればトイレットペーパーが消え、インフルエンザ・コロナウイルスと言われれば途端に市場からマスクが無くなる。テレビに顔を出し、胸を張って除菌シートやら殺菌スプレーを何個買ったか等を自慢気に話す人々。「思いやりのある社会作り」は何処に逝ったのだろう。やはり我が身が一番なのであろう。勿論否定するつもりはない。私も含め、つくづく人間だと思うのである。鬼は外、鬼は外。一体「鬼」とは誰の事か?「魔(ま)を滅(め)っす」と言って必死に「マメ」を撒く。一体「魔」とは何者か?あおり運転ならぬ あおり報道も、あまりに度が過ぎると「鬼」や「魔物」を退治するどころか百鬼夜行の如く暴れ回りそうである。黙って巻き寿司でも食っておこう。拝

​令和2年 1月

毎年、正月には本堂や山門の門松にも梅の枝を入れているが、花が咲く事は先ずない。ところが今年はどういう事だろう!四日の朝、お参り始めの朝に

門を出ようとすると門松に目が止まる何と!小さな真っ白な梅の花が一輪、見事に咲いているではないか!その周りにもプクッと膨らんだ蕾が一つ二つと付いている。朝から何とも嬉しい気持ちになり思わず撮影会が始まった。「花になるな、花を咲かせる枝となり幹となり、根を張り生きろ」しっかりとした根を張り、人としての土台が築けていれば、花は勝手に咲くという事であろう。この山門の梅の枝に根が張る事はない。しかし、小さな事かも知れないが、一期一会の喜びを頂いた。新年早々、正に新春を感じて「日々是好日」である。拝

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