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奈良県王寺町の

​井戸端寺から

編集

余録

​編

​毎月の護持の会々報「寺報 井戸端通信」に掲載しているコラムです

「編集余録」

令和6年 4月

 

近年、桜の花の色が薄くなってはいないか?以前はもう少し濃いピンク色で、満開の樹は重厚で、それでいて、風に吹かれて飛び散る花びらには儚さを感じたものである。最近の桜はどう見ても白色にしか見えない。以前、黄砂等が降りかかっているからだと云う方もいらしたが、そんなものなのだろうか・・・

乙女チックな見方をすれば、純粋に『花見』を楽しむ粋人が減り、ドンチャン騒ぎのアテにされるだけならソコソコでいいんじゃない。と、桜の樹の色気が抜けてしまっているのでは?等といらぬ邪推に走る。農作物も、手入れする人の足音を聞いて成長すると云う。要は植物にも愛情が必要なのである。花の色はともかく、幸いにも近所の桜はまだ蕾も多い。明日から桜の樹を見つける度に、愛の言葉でもかけて歩こうか! いや、それはそれで無節操と袖にされてお終いか?どうだろう桜さん、今年は久々に満開の入学式を見せてはくれまいか?

 

令和6年 3月

 

『新しい命が芽吹く。人はそれを雑草と名付く』春が近づくといつもこの言葉を思い出す。今となっては何時何処で誰に聞いたのかも忘れてしまったが、確かに道端の草花にも名はあるはずである。しかし我々は何でもかんでも、分からない物は全て「雑草」で済ませてしまう。また、本山での研修中に「下手なのは結構!でも雑なのは駄目です。何でも雑用にしてしまうのは、その用事の意味が分かってない証拠です」との注意を受けた事もある。今思えば、中々の劣等生だったのであろう、恥ずかしながら、お褒めを頂いた記憶が全くない・・・。世の中には「雑」と付く言葉は数多ある。雑用、雑草、雑菌、雑談、雑学、等々。その全てにもきっと意味があるのだろう一日一日を丁寧に生きるには、そういう「雑」を減らしていく事も大切である。拝

 

令和6年 2月

 

何年も前の話だが、テレビのクイズ番組で「雪が解けたら何になる?」と出題され、我々の様な雪に馴染みのない者は、迷わず「水になる」と答えた。しかし雪国の子に「雪が解けたら何になる?」と出題すると「春になる」と答えたという、そんな話に沢山の視聴者が感動した事を覚えている。雪が解けたら水になる。それは単に知識である。そしてその単なる知識を、我々は正解と振りかざす。しかし雪が解けたら春になる。その一言に感動が生まれたという事は、それこそが我々の〝願い〟なのであろう。今、能登の地震発生から一ヶ月以上が経過し、ようやく仮設住宅の整備も進み、少しずつ生活が取り戻され始めている。物資の配給やライフラインの整備も喫緊の課題だが、どうか春よ来い、早く来い。暖かな日の温もりを、一日も早く被災地に届く事を願うばかりである。 拝

 

令和6年 1月

 

『いつ迄も、あると思うな「親」と「金」無いと思うな「運」と「災難」』正にこの言葉が当てはまる正月、元日であったのではなかろうか? たまの小さい揺れや、地方での地震速報を見聞きした際「奈良まで津波が来る事はないやろ~」と冗談交じりの雑談で片付けてしまう、この内陸県民の呑気さには我ながらつくづ呆れてしまう。各地の地震や台風や水害のニュースを見聞きしている時は意識もあるのだが、まさに和兵衛様の言われる通り、その場を離れれば何処を探しても元は無し。喉元過ぎれば何とやらである。日暮しに追われ、今日や明日の事で精一杯! 中々この重い腰が上がらないのである。と、いつもならこれで終わるのだが、今回は真面目に避難グッズの用意に取りかかろうと思う。自分の為に、自分に出来る事を。これも一つの〝自立〟である。拝

令和5年 12月

「幸せって何?」数年前に友人から届いた年賀状の角に書いてあった一言。またウケ狙いでこんな事書いて。と、その時は特に気にもせずにいたのだが、あれから数年、何故か頭の隅に引っ掛かっている。はてさて〝幸せ〟と一言でいってみても中々定義するとなると難しい。仏教では、欲望の先に真の幸福は無いと説かれるが、過日、午前の最後のお参り先で、柿は硬い方が良いか?柔らかい方が良いか? から始まり、目玉焼きには醤油か?ソースか? 何っ!! ケチャップですか!? 等と、互いに腹も減っていたのだろう。気付けば二、三〇分そんな話に花が咲いていた。食べ物の話と、他人の悪口は盛り上がると言うが、先ず食べ物の話には罪が無い。しかもそんな話で大の大人がこれだけ盛り上がれるとは、やっぱりこの国はまだまだ〝幸せ〟だなぁと感じる年の瀬である。拝

 

令和5年 11月

 

師から笛の新調を勧められた。確かにもっと力強く吹き込める笛が欲しいとは思っていたので、何年かぶりに変えてみた。さぞ力強く、しっかりとした音が出るのだろうと張り切って息を入れてみるのだが、鳴らない・・・

しかし師に吹いて頂くと見事に鳴る。結局のところ自分の吹き易い笛をいつまでも使っていたのでは、もうそれ以上の上達はない。都合の良い笛を吹くのではなく、良い笛を吹けるようになりなさいという事なのだろう。しかし、「言うは易く、行うは難し」で、約一ヶ月、只管毎日息を入れ続け、ようやく、取り敢えず、一応、それなりに音は出てくれるようになってはくれた。そんな愚痴を合気道の師範に話していると「私は笛の事は解りませんが、何でも〝対峙〟してはいけませんよ」との御言葉。深すぎる!暴れ馬を無理矢理に乗りこなそうとしても振り落とされるのがオチである。吹いてやろう吹いてやろうという思いが力みを生みだすのだろう。肩の力を抜き、太く大きく息を入れると中々良い音が鳴ってくれる。また何年も、いや、ひょっとすると一生世話になるかも知れないのが楽器である。そんな出逢いが人様とも欲しいコロナ明けである。

令和5年 10月

編集余録はお休みです。

令和5年 9月

 

「ノイジーマイノリティ」なる言葉を御存知か?「声高な少数派」という意味らしいが、交流サイト(SNS)等を中心にはびこる、いわゆるクレーマー

という連中がこれに当たるらしい。これについて面白い譬えが新聞にあった。食べ放題のビュッフェに行き、嫌いな物を自ら食べて「何でこんな物を

出しているんだ、謝れ!」と言っている様なものだという。しかしそんな理不尽な話が通ってしまうので、何処に行っても万人が食すであろう白飯と

パンしか無いつまらないビュッフェになっている。それがこの令和という時代だと嘆かれてた。

事実、そういった声高な少数派が名乗りもせず、好き勝手に無責任な言葉を発信し、それをマスコミが更に煽(あお)り、何でもかんでも十把(じっぱ)一絡(ひとから)げにして「一億 総 良い子」を押し付けてくる今の社会は実に気持ちが悪いと思う。好き嫌いや善い悪いの是非は本来 他人に押し付けられる様なものではない。「人間は考える葦である」と比喩された方がいたが、何か肝心な事が抜けている様である。拝

 

令和5年 8月

 

暑い!暑い!暑い!とにかく暑い!久々の編集余録ではあるが、もうこれしか出て来ない!先月七月の平均気温は、観測史上最高を記録したらしい。この炎天下、和装で四枚も重ね着してるのは見ているだけで暑苦しい!と、お参り先で苦情?を頂いた・・・。かと言って、Tシャツ&短パンでお参りに伺えば、それはそれでまた苦情が出るのは目に見えている。御本山様、如何でしょう?もうボチボチお坊さん業界にもクールビズとやらの導入をお考え頂けないでしょうか?もしくは背中にファンの付いた御衣など開発してもらいないでしょうか?令和のこの時代、絽と紗だけでこの酷暑を乗り切れとは余りにもご無体な・・・。と、下らぬ愚痴をこぼしていると、いつも思い出す言葉がある。「蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、伊(い)虫(ちゅう)あに朱(しゅ)陽(よう)の節(せつ)を知らんや」七高僧、曇鸞(どんらん)大師の御言葉である。蟪蛄とはセミの事で、伊虫とは「この虫」、ここではセミを指し、夏に成虫となるセミは、春や秋という良い季節がある事を知らない。春や秋を知らないこの虫は、朱陽の節(夏)を夏と知る事すらないだろう?という意味なのだが、我々も差して変わらぬ様に思うのである。今の時代はロクなものではない、乱れた社会だと言うが、一体何と比べてもの申されているのか?比べられるだけの物があるのだろうか? 拝

令和5年 7月

編集余録はお休みです。

 

令和5年 6月

子供の習い事に付き合って、丁度コロナ騒ぎが始まる一ヶ月程前から合気道を習い始めている。稽古日が金曜の夜か、土日の日中という事もあり、当初は法務と重なり、月に二、三回も行けば良い方であった。ところがコロナ禍の御陰?で、ここ三年四年、稽古に顔を出す日が随分と増えた。しかし子供の道場とはやはり時間が合わないので、平日の夜に大人中心にしている道場を紹介してもらい、今となっては年の近い中年親父達の良き健康道場である。呼吸とストレッチを中心にジム感覚で通っているのだが、えらいもので近年、随分と肩凝りや腰痛がマシになった。気がする・・・。はてさて、いつまで続くかは解らないが、取りあえず、今の目標は、八十歳で休み無く飛び跳ねられている、総師範の小さくて大きな背中である。拝

 

令和5年 5月

「先生と、呼ばれる程のアホやなし」

以前、大阪の北新地でお店を経営されていたお参り先の奥様に教えて頂いた、いわゆる夜の町で詠まれた川柳である。確かに、夜の繁華街には、社長と先生が矢鱈と多い・・・。ホステスさんから見れば、ネギを背負った鴨にしか見えないのだろう。先月、後輩に「師匠と先生てどっちが偉いんですか?」と聞かれそんな話を思い出した。手前勝手な解釈ではあるが、師匠は言う事は勿論、する事なす事全てを見習って修行の手本にするもの。先生とは講義等を通して物事を教えて下さる方。と答えた様に思う。また、大変お世話になった老僧が、晩年「今の世の中は先生ばかりで聞く人がおらん」と嘆かれていた事も思い出した。これは若い坊主どもへの皮肉である。大して解ってもない者が解ったつもりになり、一生懸命に諭す方になって、人の話が聞けない奴ばかりだという事であろう。何れにせよ、現代の先生とはあまり良い者ではなさそうである。拝

 

令和5年 4月

特集記事掲載の為、編集余録はお休みです。

 

令和5年 3月

​特集記事掲載の為、編集余録はお休みです。

令和5年 2月

俺はしてへん、実際にやったんはあいつらや、俺は言うただけ、だから俺は悪くない!とでも言うのだろうか?わざわざフィリピンの刑務所に入って迄する事なのだろうか?あの知恵と度胸と行動力を別の方向に向けてもらえれば・・・

「身・口・意の三業」。仏さんの世界では実際に行なった者はもちろん悪。行いはしないけれどそういう思いを口にしても悪。更には、やってもないし、言うてもないけれども、腹の中に思ってしまった時点で、もう既にアウトなのである!「そんなん言うたらアカンよ!」とよく聞くが、言おうが言うまいがの話なのである。口には出さずとも、腹に思っておれば、大体が態度や行動に表れるものである。鬼を払ったつもりでいい気になるのは勝手だが、我が腹の中の鬼は中々手強い。人を見下したり差別する事はしてはいけない。しかし、していない振りをする事が一番の「悪」である。善人面した

鬼が闊歩(かっぽ)する娑婆である。拝

令和5年 1月

先月、年内最終号から「三田(さんだ)老人物語」の連載を始めた。評判の程は未だ解らないが一部の読者から次の様なご質問を頂いた。「何でこんな時期からなん?どうせなら新年最初の一月号からにしたら良かったのに。やっぱり、三田(さんだ)さんやから?」と言われたが全く意味が解らなかった。少しの間が空いて「クリスマスやし、サンタさんと三田(さんだ)さんで掛けてんのかと思てんけど違うん?」と・・・。 しまった!! やられた!! まいった!!ショックで暫く唖然としてしまった。何故にこんな大事な事に気付けなかったのか!余りの後悔に一瞬熱が出たかと思い、そして同時に目の前の女性(ひと)の観察力というか、洞察力というか、つまりはセンスの良さに敬服してしまったのである。勿論こちらにその様な意図もなければ、そもそも気付いてもいない。何か勿体ない事をしてしまった気もするが、何はともあれ、先ずは皆様ご一読を! 拝

 

令和4年 12月

ガソリン代の高騰を受け、経費の削減を考えて、先月からなるべくバイクで移動する様にしている。ところが今月に入った途端、一気に朝夕の冷え込みがキツくなる。心が折れそうになったところに「ブラックフライデー」とやらでスクーターの運転時にかける、腹迄ある膝掛けがネットショッピングで半額以下になっていた。半信半疑で買ってみたのだが、これが中々の出来で確かに温い!、特に太ももの辺りが温かく、もう手放せない。人間の眼は前向きにしかついてないから前にしか進めない、後ろには〝進めない〟のだよ。と言われた先達がいらっしゃったが、この度もまた一つ、後戻り出来ない「楽」を覚えてしまった様である。拝

 

令和4年 11月

先日、配り切れていない報恩講の粗供養を、ジャンパーとズボン姿でバイクに乗って配っていると、会う人会う人が見事に私だと気付いてくれないのである。中にはヘルメットを脱いで「お寺ですー!」と言っても訝(いぶか)しげな顔で近づいて来られて、マジマジと顔を見つめて「あーっ! お寺さん!?」となるのである。余りにも人の眼を気にする人に、大丈夫ですよ世間はそこまで貴方の事を見てはいませんよ。と、もちろん良い意味で話しているが、本当に見られていないものだとしみじみと思う・・・

正に「袈裟の功徳」とはよく言ったもので、坊主になって間もない頃、世間は貴方に頭を下げているのではありませんよ。お袈裟に頭を下げられているのですよ、勘違いなされません様に。と釘を刺された事を思い出す。着ている物一つで、都合の良い時は解るだろう、都合が悪い時は解らないだろうと、これも立派な私の「慢」である。拝

 

令和4年 10月

過日、隣寺の碧陽寺様の報恩講に御招待頂き参勤させて頂いた。数年前から、現在拙僧も参加している勉強会の先輩が、御講師として出講されているので、お勤めの後、小一時間の御法話を拝聴させて頂いた。そのお話しの中で今流行の「クラウドファンディング」の事を紹介されていたのだが、読者諸氏はこの言葉を御存知だろうか? 主に、ある個人や団体が発案した事業や企画に対して、その価値や効果に賛同する者が資金を出し合い、志を一つに

してその事業なり企画を成立させて行く。というものなのだが・・・

それって、まんま「寺」の事ではないのか!?寺は仏様の「法(教え)」を提供する場である。その法(教え)の大切さを共感し、一人や二人では抱えきれない法の灯火を、寺族・門徒が力を合わせ、後世にまで繋ぎ護持して行こう!という集まりが本来の「寺」の姿ではないか!やっと時代が追いついてきた様である!! 拝

 

令和4年 9月

特集記事掲載の為、編集余録はお休みです。

令和4年 8月

お盆とは本来、餓鬼(がき)道(どう)に堕ちた木蓮(もくれん)尊者の母親救済作戦から始まり、母親一人に限らず全ての餓鬼・亡者にも施しを与えるという事から「施(せ) 餓鬼(がき)供養(くよう)」へと繋がっていくのである。ところが今年は水不足・戦争・円安でお供え物も軒並み値段が上がっている様である。ならば今年は一つ、与えるよりも、頂いている事に気を向けてみては如何(いかが)か?私達が日々口にしている食肉一つにしても、その動物の命を奪うだけでなく、その動物を育てる為の飼料を作る為に虫や植物も殺され、またその肉を安価に提供する為に、その飼育や加工に関わる方々は経済的負担を強いられ、又、飼育・精肉・運搬の過程で自然環境も破壊されているという。余り物をくれてやるのが施しではない。私の大切な物を分け与える事が本来の施しである。木蓮尊者の母親も、一人息子を思うばかりに周りが見えず、餓鬼道に堕とされたといわれている。先ずは御手を合せて「いただきます」拝

 

令和4年 7月

お参り先に、実に愛らしく、面白い犬がいる。高齢の雄のトイプードルなのだが、玄関先でインターホンを押す前から玄関の向こうで歓迎の鳴き声をプレゼントしてくれるのだ。しかも毎回。そして、何が面白いかと言うとお勤めである。正信偈を御家族共々と勤めるのだが、お勤め中、特に後半の御念仏辺りになると何とも上手く、そして意地らしい位に一生懸命に音程や節をマネて泣き続けるのである。本人?も自信があるのか、テンションが上がるのか、ウォウォウォウォ~ンウォンと実に妙の域である。対して私のお称えする御念仏は、習って覚えた御念仏である。共に御念仏に変わりはないが、本当の御念仏とは心の底から自ずと湧き上がってくるものだと教わったし、私自身もそうありたいと願う。犬の一声に仏性を観る。迷い惑い、損得勘定の欠片も感じさせず、実に周囲を幸せにしてくれる御念仏がいつもそこにはある。拝

 

令和4年 6月

昔、唯(ゆい)円(えん)というお弟子が親鸞聖人に問われました。「お念仏を称えても喜びの心が沸きません。早く極楽へ行きたいとも思えません。まだ信心が足りないのでしょうか?」と述懐(じゅっかい)されました。親鸞聖人は、唯円の眼をしっかりと見つめながら「私も同じですよ。しかし私はいよいよ極楽往生が間違いなしと頼もしく思えるのだよ。喜べる事が喜べないのは煩悩の仕業なのだ。しかし阿弥陀仏はそんな事は百も承知で、その様な煩悩から抜け出す事の出来ない凡夫こそが救済のお目当てだと仰せになる。娑婆に執着し、心の底から極楽に行きたいと願えない、その様な迷いの深い者を 殊(こと)更(さら)に阿弥陀仏は憐れんで下されるのだよ。それを思えばいよいよ阿弥陀仏の大慈大悲の御本願が頼もしく、 極楽参り間違いなしと思わずにおれないではないか。」と仰せになりました。唯円さんも私達も、ついぞ自分の「理解」の中に御仏の存在や、その教えを取り込もうとしてしまいす。しかし大切な事は、教えを通して自分を観る「内観」なのですね。 拝

令和4年 5月

息子が習う合気道の送り迎えをしている内に「お父さんも一緒に如何ですか?」と先生からお声がけ頂き、私を含め四人程の中年練習生が誕生してからぼちぼち二年程は経つだろうか。私自身も小学生時代に習っていたので抵抗なく入れたのは良かったのだが、土日の昼間の稽古なので、私の様な勤めをしている者は中々出席がままならない。しかしそんな私を尻目に、ほぼ一緒に入会した息子の友達のお父さんは、私よりもお若いというのもあるのだろうが中々の本気具合なのである。確か入会当初は皆で運動不足解消にやりますか!の健康道場だったはずなのに、その方は着実に昇級審査をクリアして帯の色がドンドン変わっていくのである。生駒から通われていた親子はコロナが収束するまでは休みますとの事で親子共々現在は休会中である。それもまた致し方の無い事であろう。問題は残された私と、もう一人の若いお父さんである。一応各々やる気はあるのだ!どうにか遅れながらも付いていくので、k林さん!どうか私達を置いて行かないでおくれ! 拝

 

令和4年 4月

特集記事掲載の為、編集余録はお休みです。

令和4年 3月

彼岸(ひがん)である。彼岸とは読んで字の如し。遥か「彼方(かなた)にある岸(きし)」の事をいう。逆に我々のいる岸を「此方(こちら)側の岸」という事で此岸(しがん)という。そしてその両岸が挟む水の流れを仏教では「三途の川」と呼ぶ。その際の彼岸、彼の岸とは言わずもがな仏様の国「極楽」の事である。二十年程前に、今は亡き大物俳優さんが、一面の花畑から亡くなった人達が手を振っていると言われていた様に思うが、いずれにせよここでいう彼岸とはまんざら悪い所では無さそうである。問題は!遥か海の「彼方の岸」である。その国は報道番組を見る限り、お花畑どころか一面瓦礫と火の海ではないか。そしてそこでは「生きた人達」が救いの手を求めている。これが娑婆の彼岸とはあんまりではないか。いよいよ対岸の火事ではすまされない。拝

 

令和4年 2月

やっと冬休みが終わったと思ったら又もや連休と来た!デカイのが毎日朝からゴロゴロと・・・。毎朝炬燵(こたつ)を占領し、昼過ぎまでオンライン授業と称しパソコンと向き合っている。先生も手探りなのであろう。画面の向こうで好き勝手にする生徒達に振り回されている様子である。勿論部外者は一切発言は出来ないが大半は保護者が傍にいるのだろう。たまに画面上に映り込む影もある。要は毎日が授業参観なのである。今はコロナウイルスの所為で強制的にこの様な形にされてしまっているが、もう数年でこれが日常の生活になっていくのだろう。しかし今の所パソコンの向こうからは子供らしい

楽しそうな声は聞こえてこない。拝

令和4年 1月

「明けましておめでとうございます」言わずと知れた新年の定番の挨拶である。ではあるのだが、この「明けまして」について某新聞紙に、本来「明ける」とは、暗くて見えなかったものが見える様になる事なのだが、はてさて一体何が見える様になったのか?と書いてあった。なるほど納得である。暮れには「良いお歳を」。明ければ「おめでとう」と。言葉通りに受け取ると、何かがさぞ明るく照らされた様である。何がそんなに照らされたのか?

ようやく感染者数が減ったと思えばオミクロンの到来である。年末年始の気の緩みがあったとはいえ、いよいよ第6波かと思うと気が重い。照らされたのは人間の欲望や傲慢さだけなのか?それで「おめでとう」ではあまりにも悲しいではないか・・・。それでも言わずにおれない「おめでとう」どうぞ本年も宜しくお願い致します。拝

 

令和3年 12月

▼お陰様で十一月二十八日(日)。計十五名で本山「真宗本廟(東本願寺)」に参る事が出来た。晴天に恵まれ正に小春日和。流石に御堂の中はよく冷えたが、日の当たる縁側はまるで日向ぼっこである。今回初めて最終日の御満座「結願日中」の御座に参拝出来た。例年この御座は、直ぐに満堂になり、中々堂内でのお参りは叶わないのだが、今年は上手く席が取れたお陰で「坂東節」という、現在では当派にのみ伝わるお勤めを皆さんにご覧頂く事が出来た。凡そ六十人程(本年はコロナの影響で半数)の読経僧が、一斉に身体を上下前後左右に揺らしながら勤める坂東節は、やはり荘厳なもので、皆様にも是非一度は出会って頂きたいものである。

▼兎にも角にも、今年もぼちぼち暮れていきそうです。今年も大変お世話になりまして誠に有り難うございました。どうぞ来年も御念仏の御相続、宜しくお願い致します。拝

令和3年 11月

NHKの朝の連続ドラマ「おかえりモネ」が最終回を迎えた。ドラマの感想についてはここでは差し控えるが、唯一心に残った言葉がある。藤竜也さんの台詞である。「どんどん変えていけばいいんだよ!」「大事な物を守る為にはな!」と。立憲民主党の元代表が「リベラルで保守」等という言葉を残された。今ほど酷い時代は無い、輝いていた時代を取り戻そう。という事らしいが、今ひとつよく解らなかった。日本には「温故知新」という言葉がある。生活も価値観も時代と共に変化していくが、しかしその変化の中にあって、忘れてはならない物、尋ねて行くべき大切な物があるはずである。それを忘れ、人々の身勝手な注文に合わせる様な事ばかりでは、故きを温ねて新しきを知るとはならない。民主主義国家の連続ドラマも最終回を迎えてしまいそうである。一票を投じた者として一言物申す。拝

 

令和3年 10月

新政府発足!緊急事態、蔓防、全国で解除~!。少々浮かれ気味な気もするが・・・?

何はともあれ、新総理大臣の満面の笑顔には、やはり多少なりとも期待感が沸いてくる。交代したてとはいえ、久々に我が国のリーダーの笑顔を見ている。個人的にはコロナに関しては総理や政府ばかりが悪いとは思っていない。ここまで来ると相手はウイルスでは無く、我々人間一人一人が抱える「欲望」との戦いではあるまいか。ワクチン接種も進み、恐らく年末には忘年会も増えてくるであろう。分科会では既に第六波を懸念する声もある。確かに欲求不満は頂けない。しかし欲望を優先していては誰が頭に立っても同じ事の繰り返しである。彼方此方で金木犀(きんもくせい)の花の香りが鼻をくすぐる季節になってきた。新総理、貴方は今のその笑顔を国民にまで届けて下さいますか?岸田さん、私は期待と応援をしています。拝

 

令和3年 9月

9月の編集余録は報恩講記事掲載のためお休み致します

令和3年 8月

「好きかも」「良いかも」「嬉しいかも」「美味しいかも」「嫌かも」・・・と。何でもかんでも「かも」である。自分自身がそれを好きなのか、良いと思うのか、嬉しいのか、美味しく感じるのか、嫌なのか。そんな事も解らないのか!?と憤慨していると、親切なコメンテーターがきちんと教えて下さった。現代人の一種の「病」だそうだ。元々はSNS等で投稿記事や行動に対する集中攻撃、いわゆる「炎上」を懸念し〝言い切り〟をせず、曖昧にどちらとも取れるように「~かも」が使われるようになったという。SNS等は匿名性も強く、内容も軽いものが多いのでそれでも良いのだろうが、それが実社会にまで拡がり、企業・団体の会議、テレビやラジオのアナウンサー迄もが連呼する有様である。決して「使うな」という事では無い。唯、余りにも責任回避の為の、曖昧な表現ばかりでは伝わるものも伝わらなくなるのでは?と言う懸念である。 難儀が無いと書いて「無難(ぶなん)」である。しかし難儀が有ると書いて「有難(ありがた)い」と読む。事なかれ主義も結構だが、有難いと思える世を築くには、面倒臭がらずに、もう少し泥塗れになってでも、自己表現する覚悟が必要!なの かも 知れない。拝

 

令和3年 7月

皆様は「ファスト映画」なるものを御存知だろうか?私も先月の新聞で初めて見た言葉なのだが、どうやら1つの映画を10分程にまとめた物らしい。予告とは違い、その10分で結末まで解るのだそうだが、勿論違法である。しかしそんな物が世の中では受けているらしく無断で配信したとして男が逮捕されていた。かの明石家さんまさんは、ご自身の出演された番組は欠かさず見られるそうで、その所為(せい)で殆(ほとん)ど睡眠を取られないらしい。私は反対に2時間物の映画やドラマは2回に分けて見る派である。要は落ち着きがないので2時間も見ていられないのである。故(ゆえ)にスポーツ中継は苦手なので先ず見ない。がしかし、流石に折角の映画を10分とは勿体ないのではなかろうか・・・。

さんまさんも御自身がプロデュースした映画「漁港の肉子ちゃん」を10分で見られたのでは立つ瀬がないであろう。世の人々はそんなに忙しいのか?映画も一つの情報としてしか見ていないのだろうか?折角の映画ではないか、もう少し心と時間の余裕があっても良いのではなかろうか?私が言うのも何なのだが。拝

 

令和3年 6月

ワクチンの接種が始まっている。そんな中、一人の御門徒さんが「私はコロナより癌の方が恐いです。コロナは予防出来るけど、癌は予防のしようがない。だから私は予防出来るものはキッチリします」と、力説されていた。なるほど、制約された生活を実に前向きに捉えられた意見である。しかし水を差す様で申し訳ないが、確かに予防すれば確率はかなり下がるだろうが、縁が整えば感染はしてしまうものである。それこそ、万が一感染した時は、信じて頑張っていただけにそのショックは相当なものであろう。我々はコロナだ癌だと、さもそれが諸悪の根源だと言わんばかりに話しているが、何れにせよ、問題に大小はあれど、それによって自分の都合を狂わされる事に不平不満を言っているだけではないのか?この娑婆にはそんな縁は山程ある。仮にコロナや癌が世界から無くなったとしても根本解決には至らないであろう。何かの所為にしておくと簡単だからである。皆薄々と問題の根源には気付いているはずである。しかし問題と向き合うというのは辛いものである。拝

 

令和3年 5月

今年は随分と御早いお出ましである。何を張り切っているのやら、連休前から小指サイズの登場である。幸いにも入浴中に浴槽横でウネウネとしていたところを子供が発見し、若干の騒ぎにはなったが特に被害は無く事なきを得た。しかしその数日後に更にまた一匹ジュニアサイズが参戦。しかも又しても風呂場で。信貴山に上がれば毘沙門天の使いと、随分もて囃されているようだが、下界では中々そうはいかない!例年は梅雨入りの声が聞こえ、ジメジメとしてきた頃から何となく気配を感じるのだが、今年は早々に対策を錬らなければならない様である。我が家には度々手の平サイズの蜘蛛ちゃんや、何を食っているのか知らないが、よく肥えた家(や)守(もり)様も訪れる。家守様も蜘蛛ちゃんも害虫を食って駆除してくれると聞いてるのに、一体何をやっている!職務怠慢ではないか!出来る事なら無益な殺生等はしたくない!食物連鎖の中で解決しては頂けないだろうか。それが叶わないのであれば、この様な世の中である、外出は自粛して頂き、ステイホームを願いたいのだが、百足さん。拝

 

令和3年 4月

二十七日に自坊の法要を勤め、翌日から息子の得度(とくど)準備講習会の為に難波別院に付き添い、また月が変わって一日・三日と本山通い。中々過酷な一週間であった今回は楽人としての上山であったものの、本山も無参拝法要という事で各御堂もヒッソリとしたものである。ネットでのライブ配信をされていたので、撮影機器と数人の参拝者がいらっしゃっただけである。この様な状態がいつまで続くのかとの声もあったが、言うておるのは勤めている側である。お参りに来られた門徒さんはいつもと変わらず、弥陀に向うて深々と頭を下げ、手を合わす。その姿に何の変わりもないのである。私も写っていると思い配信を視聴したが、矢来(やらい)の陰に隠れてよく見えないではないか!そんな不満が沸いてくるところをみるとやはり私も勤める側にいた様である。拝

 

令和3年 3月

久しぶりに「生姜湯」を頂いた。えらく冷える朝で取り敢えず温もろうと、粉末のそれを湯飲みに入れポットの湯を注ぐ。トロみのついた熱々を啜(すす)ると、腹の底からジーンと温もりが伝わってくる。何とも言えぬ至福の時である。いつもの私の朝は一杯の味噌汁で始まるのだが、それとは又違った有り難さ旨さを感じる。体全体が温もり、妙に腹が落ち着くのである。結果その一杯の生姜湯が朝食代りとなり法務に出た。いつまで もつかと心配していたが、これが結構腹持ちが良い。しかも満腹感が無いのでお勤めもし易いのである。流石に毎日となると難儀かとは思うが、先達から受け継いできた立派な「暮らしの知恵」を感じさせてくれた。生物には元来「治癒力」というものがある。そして我々にはそれを補う、受け継がれてきた暮らしの知恵があるワクチン接種。有難い! けどちょと恐い・・・。気持ちは解る!しかし大切な事である。だからこそ外から取り入れると共に、内にある免疫や治癒力にも意識を向けていくべきではなかろうか。拝

 

令和3年 2月

えらい事である。家内がいきなり今年の節分は2月3日ではなく2月2日だという。何を急に訳の解らない事を、いい加減な事をと、危うく軽い夫婦喧嘩が勃発しそうになった。しかし丁度その時に我々夫婦の論戦の仲裁役をかって出てくれた様なタイミングでテレビニュースが説明をしてくれた。「国立天文台暦計算室」という、今まで聞いた事もないような所の専門家曰く、暦のズレの影響で今年は「立春」が2月3日で、「節分」が2月2日になるらしい。明治30年以来、124年ぶりなのだそうである。いくら高齢化社会といえども、流石に懐かしがる方はいないだろう。しかも来年は3日に戻るが、2025年から4年ごとに再び2月2日になり、2057年と2058年は2年連続で2日になるらしく、今世紀末にかけて2月2日になる頻度が高まる傾向にあるという。国立天文台の職員さんは、その年毎にカレンダーの「節分」の表記が間違われないかを心配されているらしいが、その辺は

心配ないのではなかろうか・・・。拝

 

​令和3年 1月

昨年末は少々ややこしい事があった。昨年の夏に実父が他界したもので、その事を知っている友人知人から年賀状を出して良いのかの問い合わせを何件か頂いたのである。こちらとしては十月の始めに満中陰法要も営み、とうに忌明けしているので例年通りの枚数を考えていたのだが、やはり世間はそうはいかない様である。そこで急遽、人生初の喪中葉書を出す事になったのである。しかし寺方には既に満中陰を勤めた事を伝えているので今更出し難い。という事で昨年は年賀状と喪中葉書、両方を出す事になったのである。ところが喪中葉書と年賀状では出す時期が若干違う!喪中葉書を出した際、控えを取っておけば良いものを、年賀状を出す時点で数件ではあるが喪中葉書を出したかが解らなくなってしまったのである。そうなると全てが怪しく思えてくる・・・。しかしもう後の祭りである!という事で、皆様、新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。拝

​令和2年 12月

インスタントのカップ麺に天ぷら蕎麦がある。最近はその天ぷらを「後乗せ」に出来るタイプのものがある。「サクサクとした食感が楽しめます」という事なのだそうだが、私としては出汁を吸い込んでドロドロ状態になった「天かす」の方が好みである。その様な人間にはいささか大きなお世話感が否めない・・・。勿論、新蕎麦の時期に蕎麦屋に行って挽き立て打ち立ての蕎麦をたぐろう!となると話は別である。私もわざわざ長野県まで行って天かすドロドロの蕎麦を食いたいとは思わない。と思う。多分・・・。要は、何でもかんでも一つのクオリティにハメ込まずとも良いのではないか。と言う事なのである。この様な時世だが放っておいても正月は来る。どの様な蕎麦で年を越し、どの様な新年を迎えるか、これはこれでまた楽しみである。拝

​令和2年 11月

又もや都構想が否決された。橋下氏が悪いだの、毎日新聞が誤報を流しただのと言われているが、有権者を馬鹿にしてはいけない。有識者等と呼ばれる人達のSNSのデマ合戦などは取るに足りない話なのである。有権者一人一人が様々な事情を持ち、様々な考えで自分の未来を掛けて投票されたのである。ただ否決といえども結果は極々僅差であり、少なくとも大阪市民の半数近くは現状に不満や不安を持ち、変えたかったのである。この数字が今の全てであり、市民の叫びとも言える「声」なのであろう。仏教に声明という言葉がある。自らが経を読みその経を自らが聞く。これも「聞法」という行なのである。市民の声を聞くのは政治家だけではない。発した者も互いに声を聞き遇わなければいけない。でなければあまりにも勿体ないではないか。拝

​令和2年 10月

今年の秋は随分と足が早いように思う。例年であれば汗だくで勤める報恩講が、何とも爽やかに気持ちの良い秋晴れの下に執行する事が出来た。残念ながら今年は夜座を勤める事が出来なかったので、夕刻早々に片付けをしていると喉の渇きに気付き、炭酸水を飲みながら縁側に腰を下ろした。例年では考えられない、実にのんびりした時間である。「恩に報いる」と書いて報恩という。恩に報いる事が正解で、報いていくべきであると言う、ともするとそれは単なる恩返し的な発想になりかねない。しかし親鸞は言う「恩は返すものではない、唯ひたすらに謝すべきものである」と。晩夏に父を亡くし、一度も旅行に連れて行けなかった事を悔やむ思いもあったが、先ずは五十年間 父でいてくれた事に感謝の念をおくりたいと思う。拝

​令和2年 9月

父が亡くなった。七十八歳であった。改めて思うと離れて暮らしてから随分と永い時間が経つ。忙しさに感(か)まけまともに顔を合わせるのは正月くらいで、年に数回、電話で極々短い会話をするくらいであった。更には数年前から急に、墓の事や親戚の事も「これからは もうお前に任しとくよって後頼むで」と言いだし、いよいよ会話というものが無くなった。私も、有難い事に二人の子宝に恵まれ親になり、法務と子育てに追われながらの日暮しの中、いつの間にやら親という年寄りを心配する側になっていた。二晩、父の前で母や弟妹達と、父の好きだった日本酒をちびりとやりながら思うところを話しあい、コロナ禍という事もあり家族だけで葬儀を勤め送り出した。勿論寂しくはあったが、何十年か振りにオトンの元に帰れた気がした。 拝

​令和2年 8月

うがい薬がコロナに効く?ニュースでその様な会話があるとその日の夜には薬局の棚から「うがい薬」の類いが総て消える。そして騒動の翌日には、言い訳会見に対し、テレビのコメンテーターは「知事の発言に問題があった」と檄を飛ばす。▼決して吉村知事の肩を持つつもりはないが、政府が動かない現状で精一杯の試行錯誤の中での一言ではないのか?感染するな。気をつけろ。の一点張りよりは聞ける話ではなかろうか?▼以前に、消費者センターに詐欺被害の相談件数がこれだけ多い国は日本位だと聞いた事がある。諸外国では騙した方は勿論悪いが、騙された方の責任も問われるという。自らの健康、延いては自身の命に関わる問題である。誰が何を言おうが、もう少し冷静に判断して事に向き合いたいものである。拝

​令和2年 7月

えらい事である。三円五円のお金が無い訳ではない。言われている趣旨もよく理解出来るし、勿論賛同もする。何なら以前からお茶のペットボトルを一本買う位であれば「そのままで結構です」と遠慮し、それなりにエコに対する意識もあったつもりである。▼以前に「法律やルールが増えると言う事は、それだけ人が愚かになっている証拠である」という言葉をどこかで読んだ事がある。飲酒やあおり等の運転行為もそうだが、強烈なペナルティーを強制されないと現代人は自制が効かない様である。実に情けない話だが、この身の事実を御仏は情けないとは言わず悲しいという。しかし見捨てる事なく、辛抱強くその目で見続けて下さるという。これが慈悲なのである。私もこれからは最後まで大事に使おうと思う、レジ袋とのえらい御縁である。拝

​令和2年 6月

ヨレヨレになったゴムの弦(げん)に矢を掛け、1mも飛ばない玩具(おもちゃ)の弓矢で遊ぶ息子に「人に向けるな!」と怒鳴っていた矢先、大学生が人に向けてボーガンを撃つというニュースが飛び込んできた。そしてコメンテーターは張り切った様相で法規制を訴える。そんな問題なのだろうか・・・。この大学生は「人に向けて撃ってはいけない」事を知らなかったのか?そんな筈(はず)はない。中国の故事に「三才の童子(どうじ)もこれを知るが、八十の翁(おきな)もこれを行なうは難し」とある。やってはいけないという事は子供でも知っている。しかしいい年をした大人が、解っているのにしてしまう。そこに問題の本がある。事が起きると直ぐに締め付け、押さえ込もうとするが、似たような問題は次から次へと後を絶たない。拝

​令和2年 5月

先日の夕飯時、六十代後半位の男性が尋ねて来られ、掲示板の「疫癘(えきれい)の御文」をコピーして貰えないかと言われた。「コピーは良いですけど、脇にある寺報では駄目ですか?関心お持ちでしたらそちらの方が、多少ですが意味合いも書かせて頂いてますよ」と申し上げると喜んで持ち帰って下さった。釈迦の言葉に「応病(おうびょう)与(よ)薬(やく)」とある。人の苦悩に応じて教えを施すというものだ。縁があって目に止まり、何を思い尋ねられ、持ち帰えられたのかは私の考えの及ばぬところであるが、コロナ渦で悶々とした日々の中、少なからず嬉しい出来事であった。人間は暇になるとあまり良い事は考えないというが、よくよく考えてみれば、13年程前にここ安專寺に着任した時は更に暇であった事を思い出す。すべき事、出来る事はまだまだある。「耐えるべき時に耐え、攻めるべき時に攻める」棋士である、故 米長邦雄さんの言葉が身に染みる。 拝

​令和2年 4月

二十年以上この勤めをしているが、無参拝の法要などは初めてであった。春の法要「正法(しょうぼう)永代(えいたい)護持(ごじ)経(きょう)法要(ほうよう)(永代経法要)は本来、未来永劫に経の教えを護持し、引き継いで行こうという趣旨の元、有縁の門徒衆が寄り集い、 経を頂き、法談に花を咲かせるものである。それを一人っきりとは何とも寂しい話である。しかし今回ばかりは致し方あるまいと諦め、当日定刻となったので改着し本堂に向おうとすると、何と思わぬ参拝者がいたのである!座椅子に座っていた妻がムクッと立ち上がり「マンマンチャンやで!」と子供達に声を掛け、私よりも先に、さっさと本堂に向うのである。毎度、法要中は家人に迄気が回っていなかったが、確かにこの人達も一人一人が参拝者なのである。おおよそ習慣的なものなのかも知れない。しかし牛歩の歩みではあるが、一つ次の世代への大事な繋がりを感じる事が出来た本年の春の法要であった。

​令和2年 3月

「鯛は頭から腐る」と言った政治家がいた。しかし釣り好きの私の友人は「魚は内蔵から腐る。だから釣った魚を冷蔵庫でねかす時は必ず内臓を綺麗に取り出して保存しなさい。と教えてくれた。どちらが正解かはどうでも良いが、ウイルスのお陰で自坊の法要もままならず、他寺への出講も4件程キャンセルが出た。子供達も急に休めと言われ、行く所も無く暇を持て余し、いつの間にか気が付けば折角の「雛まつり」も何処えやら・・・

欲求不満・不完全燃焼・戦意消失。表現は違えどボチボチとストレスも溜まってくる頃である。イオンモールやファミレスにはそれなりに人は集まっているが、それとて皆が心から楽しんでいる訳ではなかろう。あまりに悶々とした日が続くと、やはり人間「不貞腐れ」てくるものである。再度言うが

何処から腐るかは今はどうでも良い。ただ「腐っても鯛」ではいたいものである。 拝

​令和2年 2月

凄いものである。オイルショックと言われればトイレットペーパーが消え、インフルエンザ・コロナウイルスと言われれば途端に市場からマスクが無くなる。テレビに顔を出し、胸を張って除菌シートやら殺菌スプレーを何個買ったか等を自慢気に話す人々。「思いやりのある社会作り」は何処に逝ったのだろう。やはり我が身が一番なのであろう。勿論否定するつもりはない。私も含め、つくづく人間だと思うのである。鬼は外、鬼は外。一体「鬼」とは誰の事か?「魔(ま)を滅(め)っす」と言って必死に「マメ」を撒く。一体「魔」とは何者か?あおり運転ならぬ あおり報道も、あまりに度が過ぎると「鬼」や「魔物」を退治するどころか百鬼夜行の如く暴れ回りそうである。黙って巻き寿司でも食っておこう。拝

​令和2年 1月

毎年、正月には本堂や山門の門松にも梅の枝を入れているが、花が咲く事は先ずない。ところが今年はどういう事だろう!四日の朝、お参り始めの朝に

門を出ようとすると門松に目が止まる何と!小さな真っ白な梅の花が一輪、見事に咲いているではないか!その周りにもプクッと膨らんだ蕾が一つ二つと付いている。朝から何とも嬉しい気持ちになり思わず撮影会が始まった。「花になるな、花を咲かせる枝となり幹となり、根を張り生きろ」しっかりとした根を張り、人としての土台が築けていれば、花は勝手に咲くという事であろう。この山門の梅の枝に根が張る事はない。しかし、小さな事かも知れないが、一期一会の喜びを頂いた。新年早々、正に新春を感じて「日々是好日」である。拝

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